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2018年5月1日火曜日

春の風景 #花見 #世界遺産 #宮島 #桜 巡り Part02-10 「光明院側 誓真大徳頌徳碑広場」の写真 2018.04.03 ( #広島県 #廿日市市 )

世界遺産「宮島」の桜巡りPart02は、「誓真大徳頌徳碑」の広場の桜です。
五重塔」と「千畳閣(豊国神社)」の東側に、「光明院(こうみょういん)」と言うお寺が有ります。
お寺の側の広場には大きな石碑が建っていて、周囲には多くの桜が植樹されています。
宮島杓子(しゃくし)を考案した、「誓真(せいしん)」さんと言うお坊さんが修行した、神泉寺の跡です。


誓真大徳頌徳碑」の詳しい場所は、こちらの地図から。


町家通り」を移動中。 「くま金商店」前。  奥に「五重塔」が見えます。


「くま金商店」から左に曲がって行くと、上に続く階段が有ります。


向かい側の、「幸神社」。 ここの桜も満開です。



更に登って行くと、柵道が在り返しています。 ここを進むと、「光明院」です。


「光明院」の前。 この先が石碑の有る広場です。


立て札には、

【光明院(こうみょういん)
浄土宗に属し、戦国時代、以八上人によって建立された。
厳島は14・5世紀頃から、内海の要港としてにぎわい門前町が発達した。
これまで厳島神社に関係をもつ寺院はあったが、以八上人は町家の人達を教化する目的で来島し、
念仏を勧め多くの信徒を獲得した。
鎌倉時代末期の木造阿弥陀如来立像、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図(以上国指定重要文化財)を所蔵する。

この寺の裏手は同じく浄土宗の道場坊神泉時の跡であるが、天文18年(1549)堪阿弥が再興し、
昼夜時刻を知らせたので時寺と呼ばれて親しまれた。
天明・寛政の頃(18世紀末)島内諸所に井戸を堀り、宮島名産の杓子を創始し民生につくした
誓真は神泉寺の番僧であった。】

と書いてあります。


下に有るのが石碑です。 広場の後ろも丘が続き、登ると全体が見渡せます。


左には、「五重塔」と「千畳閣(豊国神社)」が見えます。


今回は空の低い位置に雲が多く、空も霞んでいます。
昨年の、2017.04春の宮島巡りPart4では快晴だったのですが。


下の広場では、お花見が始まっています。


今年は満開になる時期が少し早かったので、春休みの最中です。 なので花見客も多かったです。
こんな狭い所まで、車を乗り付けて来る人達もいました。


五重塔」と「千畳閣(豊国神社)」のアップ。


桟橋の方向。  満開の桜と航行するフェリー。


航跡から、宮島へ向かっているフェリーの様です。


中央にも、小さな船がいました。


広角レンズに交換して撮影、全体が見渡せます。 地平線付近は雲が有りますが、上空は青空です。
上に2つ、何かが飛んでいるのが写っています。 恐らく、マルハナバチだと思います。


マルハナバチは、周囲をブンブン飛び回っていました。


中々良い景色だと思います。


これで、雲が無ければもっと良かったのですが。


Part02は、以上です。

少し雲が有りましたが、満開の桜と海と五重塔を見ることができ、満足でした。
ここは宮島でも屈指の桜スポットだと思います。

続きは、五重塔へ向かいます。

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